2010年5月23日日曜日

靖国神社雑感2、靖国神社と同期の桜そして戦前の教科書

靖国神社を意識するようになったのは,何時の頃からだったでしょ
うか。

新宿始発の東京市電は、11番と12番です。

11番は、四谷見附、半蔵門、三宅坂、桜田門、日比谷、銀座、築
地を経て勝鬨橋、築地です。

12番は四谷見附、市ヶ谷見附、九段、神田、須田町から両国です。
11番は、桜田門付近に差し掛かると、車掌の声がかかります。
『宮前を通過します。みなさん、宮城に向かって下さい。ハイ、敬
礼!』
小学校後学年の頃から、このお辞儀を覚えています。

1937年・昭和12年です。私が小学校3年の時に盧溝橋事件が
起こり、日中全面戦争となりました。

「国民精神総動員要綱」が閣議で決定されて「八紘一宇」「大東亜共栄
圏」「挙国一致」「尽忠報国」「堅忍持久」「滅私奉公」のスローガンの下、
毎月1日は「興亜奉公日で、梅干し一つの「日の丸弁当」、国旗掲
揚、神社仏閣への「必勝祈願」、防空訓練が行われるようになりまし
た。

12番は、九段で靖国神社横を通過します。靖国神社に電車の中か
ら敬礼するのは、ずっと後のことです。日中戦争が長引き泥沼化し
て、「国の英霊」の帰還が目立つようになります。1941年・昭和
16年12月に太平洋戦争が始まります。私の中学1年の時です。
靖国神社へ電車の中からのお辞儀は、この頃からでしょう。

15歳で私は少年兵を志願しました。「日本が危ない。今こそ戦場に
行き国のため,家族のため戦おう」と考えたのです。しかし、戦場で
戦うことと、「戦死」すること、「靖国神社」に祀られることは結びつ
いていせんでした。

陸軍特別幹部候補生航空通信兵の教育課程は、当初、1年6ヶ月の
予定でしたが、戦局の激化に従って、9ヶ月に短縮され、翌年早々
には第1線で任務に就くと44年・昭和19年10月に告げられま
した。

戦うことと死ぬことが,意識の中でまだ結びついていない私たち少
年兵は、戦場に赴く日が近づいたと喜び勇んだのでした。

その頃、神風特別攻撃隊の体当たり攻撃が、はじめて報じられまし
た。「航空隊」です。情報は早く、どこからとなく伝わって来ます。
「志願して特攻隊員になるとその日から『今日からお前たちは神様だ』
といわれるそうだ」,「毎日白米を食べるんだそうだ」、「グライダーで
敵飛行場着陸する特攻隊も出来たそうだ」「航空隊員は、地上勤務者で
も、機関銃手とか爆撃手とか、特攻要員に指名されるそうだ」

軍歌『同期の桜』が歌われ始めました。
この歌の原曲は『戦友の唄(二輪の桜)』という曲で昭和13年1月
の少女倶楽部に発表された西条八十の歌詞を元として、後に人間魚雷
回天の搭乗員となる帖佐裕海軍大尉がアレンジしたものです。なお、
この帖佐大尉は、私の兄が、回天搭乗員として山口県大津島に着任し
たときの最初の分隊長でした。

1. 俺とお前は同期の桜 2.俺とお前は同期の桜
   同じ兵学校の庭に咲く   同じ兵学校の庭に咲く
   咲いた花なら散るのは覚悟 血肉分けたる 仲ではないか
   見事散りましょ 国のため 何故か気が合うて 別れられぬ
    
3.  俺とお前は同期の桜   4.俺とお前は同期の桜
   同じ航空隊の庭に咲く 同じ航空隊の庭に咲く
   仰いだ夕焼け 南の空に 花の都の 靖国神社
   未だ帰らぬ 一番機     春の梢に 咲いて会おう

近づく戦場への思いと重なり、少年兵たちは、夕暮れの練兵場で、兵
舎の陰で、営舎の窓辺で、声を合わせて良く歌ったものでした。ゆっ
くりとしたテンポで、唄の情景と、私たちの行方を重ね合わせ、繰り
返し繰り返し涙を流しながら歌ったものでした。

『戦場』と『死』と『靖国神社』は、それでもまだ『遠い』唄の中の
ものでした。

それが現実のものとして『戦場』と『死』と『靖国神社』が結びつい
て『戦争とは、人と人の殺し合いだ』と心に刻みつけたのは、翌年2
月に常陸飛行部隊での初めての戦闘体験で、同期生の死と向き合った
時だったのでした。

それにしても、ここに辿り着く心の底には、何よりも小学校時代から
蓄積された軍国主義教育があったと言えるでしょう。

『靖国神社』は、小学校4年で教えられました。

戦前の教科書の靖国神社
尋常小学終身書  巻4
第3 靖国神社

東京の九段坂の上に、大きな青銅の鳥居が高く立っています。其の奧
にりっぱな社が見えます。それが靖国神社です。

靖国神社には、君のため国のためにつくして死んだ、たくさんの忠義
な人々がおまつりしてあります。毎年、春4月30日と秋10月23
日には例大祭があって、勅使が立ちます。又、忠義な人々をあらたに
合わせまつる時には、臨時大祭が行われます。其の日には天皇・皇后
両陛下の行幸啓がございます。

お祭りの日には陸海軍人はもとより、一般の人々も、ここにおまつり
した人々の忠義の心をしたって参拝する者が引きもきらず、さしもに
廣いけいだいも、すき間のないまでになります。

君のため国のためにつくして死んだ人々をかうして神社にまつり、又
ていねいなお祭りをするのは、天皇陛下のおぼしめしによるのでござ
います。私たちは、陛下の御めぐみの深いことを思ひ、ここにまつっ
てある人々にならって、君のため国のためにつくさなければなりませ
ん。

(注 君とは、天皇のこと。天皇は現人神ーあらひとがみーであり
一般庶民は、臣民でした。)

尋常小学唱歌  第4学年用
4、靖国神社

1.花は桜木、人は武士。
   その桜木に圍(かこ)まるる
   世を靖国の御社(みやしろ)よ。
御国(みくに)の為に、いさぎよく
  花と散りにし人々の
  魂(たま)は、ここにぞ鎮(しづ)まれる。

2.命は軽く、義は重し。
   その義を践みて大君に
   命をささげし大丈夫(ますらお)よ。
  銅(かね)の鳥居の奧ふかく
  神垣高くまつられて、
  譽は世世に残るなり。
  

臣民の命は大君への「忠義」に比べたら鴻毛(鳥の羽)よりも軽
かった。しかし、貧乏人の子どもでも、「戦死」したら「神様」に
なって「靖国神社に祀られる。そうして、畏くも「現人神」の天子
様が頭を下げてお詣りして下さる。有難いことだ、子々孫々ま
で語り伝える名誉なことだ、そんな時代であったのです。 

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