いつか来た道
日の丸・君が代の強制
猪熊 得郎
学校での日の丸・君が代の強制が強まっている。私には日の丸・君が代に鍛えられ、十五歳で少年兵を志願した戦中の少年時代の思い出が蘇ってくる。
戦前・戦中、四大節には各戸に日の丸の旗が掲げられた。四大節とは四方拝、紀元節、天長節、明治節である。
四方拝とは 一月一日の早朝に行われる皇室祭祀であり、神嘉殿の南座で伊勢皇大神宮・天地四方の神々を拝礼する。紀元節は、一八七二年(明治五)日本書紀の伝える神武天皇即位の日に基づいて制定された祝日で、二月十一日。一九四八年(昭和二三)廃止されたが、一九六一年(昭和四一)から「建国記念の日」として復活し、国民の祝日となった。天長節とは「天長地久」から天皇誕生日を祝った祝日であり、明治節とは明治天皇の誕生日に当たる十一月三日であった。
一九四一年四月に小学校は国民学校となったが「国民学校令施行規則」には、四大節のセレモニーには、次のように定めらていた。(それ以前に行われていたものを集大成規制化したものであろう。)
第四十七条 紀元節、天長節、明治節、及一月一日に於いては職員及児童学校に参集して左の式を行うべし
一 職員及び児童「君が代」を合唱す
二 職員及児童は
天皇陛下
皇后陛下の
御影に対し奉り最敬礼を行う
三 学校長は教育に関する勅語を奉読す
四 学校長は教育に関する勅語に基づき誓旨のあるところを誨告(かいこく)す
五 職員及児童はその祝日に相当する唱歌を合唱す
(注 君が代・紀元節・天長節・明治節・一月一日・勅語奉答歌・昭憲皇太后御歌・明治天皇御製な ど)
後略
一九四一年文部省が制定した「礼法要綱」を基にした「文部省制定 昭和の国民礼法」によればこれらのセレモニーは更に次のように規定されていた。
一 祝祭日には、国旗を掲げ、宮城を遙拝し、祝賀、敬粛の誠を表す。
二 紀元節・天長節・明治節及び一月一日における学校の儀式は次の順序・方式による。
天皇陛下・皇后陛下の御写真の覆いを撤する。
この際、一同上体を前に傾けて敬粛の意を表す。
次に天皇陛下・皇后陛下の御写真に対し奉り最敬礼を行う。
次に国歌をうたう
次に学校長教育に関する勅語を奉読する。
参列者は奉読の始まると同時に上体を前に傾けて拝聴し、奉読の終わったとき、敬礼して徐に元の姿勢 に復する。
次に学校長訓話を行う。
次に当日の儀式用唱歌をうたう。
次に天皇陛下・皇后陛下の御写真に覆いをする。
この際、一同上体を前に傾けて敬粛の意を表する。
以下略
【注意】
一、天皇陛下のお写真を式場の正面の正中に、皇后陛下のお写真は、天皇陛下のお写真の左(拝して 右)に奉戴する。
明治節の時には、明治天皇のお写真は天皇陛下の右(拝して左)に奉戴する。
二、勅語読本は箱より出し、小蓋または台に載せて式場の上座に置くを例とする。
三、勅語奉読に当たっては、奉読者は特に容儀・服装に注意し、予め手を清める。(フロックコート、 モーニングコート、及び和服の場合は手袋は着用しない。)
謄本は丁寧慎重に取り扱い、奉読の前後に押し頂く。
四、勅語奉答の歌をうたう場合は、学校長訓話の前にする。
五、勅語奉読・訓話等は、御写真を奉掲する場合は御前を避け、しからざる場合は正面の中央で行う。
六、皇后陛下御誕辰・皇太后陛下御誕辰を賀し奉る儀式を行う場合には、凡そ祝日における儀式に準じ て順序・方式を定める。
遙拝式・勅語奉読式・入学式・卒業式又は記念式等学校に於ける諸儀式に就いても亦同じ。
七、学校以外の団体の行事は、適宜前各項に準じて行う。
大分引用が長くなったが、六〇代後半以降の方は彷彿として戦前の四大節セレモニーを思い起こされたでし ょう。今日思えば馬鹿馬鹿しく仰々しい行事が、日本中で、「大まじめに」執り行われていたのである。
今日の日の丸・君が代の強制を見ていると、新しい装いで、どこまでこのような方向に近づくことかを危惧 せざるを得ない状況である。
そしてまた、このセレモニーのメインはまさに「教育勅語」の奉読であった
「勅語」とは「大辞林」によれば、「1天子の言葉。みことのり。2旧憲法下、天皇が直接に国民に下賜す るという形で発した意思表示」とあるが、天皇については、旧憲法では次のように規定している。
第一条 大日本帝国は万世一系の天皇これを統治す
第三条 天皇は陸海軍を統帥す
第十一条 天皇は陸海軍を統率す
第十二条 天皇は陸海軍の編成及び常備兵額を定む
第十三条 天皇は戦いを宣し和を講じ及諸般の条約を締結す
まさに天皇は絶対的権力を持って国民の上に君臨し、日本の運命と国民の生殺与奪の権能を持った存在で あっり、教育に関する勅語「教育勅語」は、国民を、「一旦緩急あれば義勇公に奉じ、以て天壌無窮の皇運 を扶翼」する「忠良な臣民」に仕立てるための、大日本帝国の教育の国是であった。
一八七九年(明治一二)の「教学大旨」には次のように書いてある。
仁義忠孝の心は、人みな、これ有り。しかれども、その幼少のはじめに、その脳髄に感覚せしめて、培養す るにあらざれば、他のもの事、すでに耳に入り先入主となるときは、のちいかんともなすべからず。故に、 当世小学校に絵図のもうけあるに準じ、古今の忠臣・義士・孝子・節婦の・画像・写真を掲げ、幼年生入校 の始めに先ずこの画像を示し、その行事の概略を説諭し、忠孝の大義を脳髄に感覚せしめんことを要す。し かるのちに、諸物の名状を知らしむれば、後来(将来)忠孝の性に養成し、博物の学(理科)において、本 末を誤ること無かるべし。
この伝統的君が代・日の丸付けの教育の中で、私たち当時の少年は、日出る国の天子の下「八紘一宇」 「大東亜共栄圏の確立」「国のため」、戦場に赴くことが祖国愛に充ち満ちた、男子本懐の道と信じる民草 に育てられていった。
四二万の少年兵が、親たちの反対を押し切って一五年戦争に参加した。
四七年一二月、一九歳で私はシベリアから復員した。
旧制中学三年を終え少年兵の道に歩んだ私は、復学を希望して母校を訪ねた。
応接したのは、当時教頭で、私たちを熱烈に送り出し、戦後、校長になった教師であった。
同級生は学徒動員で四年当時何も勉強をしていないが、戦時中の繰り上げにより四年で卒業した。君にも、 四年修了の免状をやるからどこか他所へ行ってくれ。シベリア帰りとは言わない方が良いよ。
私と同じように特幹、予科練など少年兵を志願したクラスメートたちの消息を聞いた。万歳、万歳、母校の 名誉と送り出した彼は、戦後の混乱で、彼らの消息は分からない、どうしていますかね…。それが彼の答え であった。
今、君が代・日の丸を強制している人たちは、いったいその結果にどこまで責任を取るのだろうか。た だ、野となれ山となれしか考えていないのであろうか。
猪熊さん
返信削除何時か来た道?馬鹿なことをいわんで下さい。
収容所で個人ばかり大事にして頭の人間の種類が違うだけで軍国主義などのzねんたいしゅぎでしかない
共産主義に毒されましたか?
国歌、国旗を敬い誇りにおもうことが 何時か来た道になるのですか?
懸念は解ります。
しかしそのために文民統制があるのではないですか?
貴方が今までやってきたことそして戦死した兄上を否定していいのですか?
教育勅語を問題視する御仁がいる。
返信削除しかしよくよんで貰いたい。
至ってふつうのことしかっかれていないではないか。
猪熊氏は航空学生でということはインテリの部類に入る。
淡々と説をのべる姿には敬意を表したい。
戦争は経験者しか語れない。
でも軍役に服した人達の数だけ話がある。
池田幸一という御仁もそうだし考え方も色々。
ハタ。ウタ自体に罪があるかのように言うことが間違いなわけである。
何事もそれをおこなったのは人間。
そこを考えないと過去を現在の感覚で判断し、
謝った認識を持つコノになるだろう。
>>天皇は絶対的権力を持って国民の上に君臨し、日本の運命と国民の生殺与奪の権能を持った存在
返信削除そうではないですよ。 旧憲法通して読んでみれば天皇を縛るのが憲法、
戦後どころか高度成長期以降の生ぬるい空気の中でノホホンと生きてきた戦争の実態も知らぬ似非愛国者が、実際に従軍し体験してきた先達に対する敬意もない酷いコメントに胸が痛みます。
返信削除お前等が何を言おうと、実体験をした人の言葉の前には塵芥程の説得力もない。
お前等のようなのが亡国の徒と言うのだ。