2010年7月27日火曜日

帝国陸海軍の少年兵2

   「帝国陸海軍の少年兵」 (2)
                       猪熊 得郎
少年兵42万以上
先のアジア・太平洋戦争では、教育の可能性に富み、心身ともに柔軟
で、五感も鋭敏な少年時代から教育訓練をして、近現代戦の戦力を充実
させ、さらには急速に大量動員して戦力を補充するため、日本帝国陸海
軍は42万名以上の少年兵を動員した。

そしてこの内約40万名が米英蘭への開戦以後、とりわけ約30万名は戦局の悪化した1944年(昭和19)以後の採用であり、まさに、航空、水上、水中の特攻補充要員であり、さらにまた、国体護持のための本土決戦要員として準備されていたのである。

少年兵とは何か。
○ 徴兵適齢期以前、14歳~19歳の少年を対象として志願による採用。
○ 短期間での下級幹部(下士官)の養成。 大量充足を目的とする。
○ 陸軍士官学校、幼年学校、海軍兵学校、 海軍機関学校等は、帝国陸 海軍中核幹部の職業軍人を養成するもの  であり、 徴兵適齢期   以前の入隊であるが、当然、「少年兵」ではない。
○1930年(昭和8)の予科練創設以来約42万人以上の少年兵がアジア ・太平洋戦争に参加した。
○1942年(昭和17)頃以前の少年兵(予科練)の戦没率は60%以上 であり、それ以後の少年兵の戦没率 は大きく減少するが、その多く は本土防衛要員としての配置、あるいは特攻隊要員としての訓練中に 敗戦を迎えた。


少年兵の概略は次の通りであるが、それぞれについての詳細は後述する。

名称            創設 採用数  
海軍飛行予科練習生(予科練) 1930年6月 241283 名 
予科練は少年兵の代名詞であり、「七つ釦は桜に碇」の歌とともに少年たちの憧れの的であった。

15~19歳、甲種中三,乙種高小二年卒程度の学力対象。
海軍特攻【神風特攻隊】2525名のうち予科練は1728名ー68%
桜花、回天、震洋、海竜、蛟竜、伏龍、土竜、神竜等の特攻はすべて予科練を中心に編成されていた。

創設 採用数  
海軍特別年少兵 (特年兵) 1942年9月 18160名
映画「男たちの大和」に出てくる年齢十四歳以上十六歳未満を対象、
この制度が出来た頃から少年の陸海軍への青田刈り競争が激しくなり、
陸軍に対する秘密保持上ごく限られた関係者にしかこの制度は知られていなかった。約5千名が戦死。戦艦武蔵、大和などにも多数乗艦していた。
創設 採用数 
海軍特別幹部練習生 1945年5月 15540名    
 飛行機もなく予科練募集中止の後、少年兵確保のため創設、主として
人間機雷伏龍特攻要員としての訓練中に敗戦を迎える。短期間で敗戦のため詳細不明。城山三郎も入隊。

創設 採用数
陸軍少年通信兵 1933年12月 586名
陸軍最初の少年兵、師団・航空・戦車・固定・船舶・船舶固定・特殊
情報

創設 採用数
陸軍少年飛行兵 1934年2月 58460名
   映画「ホタル」や「月光の夏」に出てくる少年兵。
   陸軍航空の中核。 操縦、通信、整備

創設 採用数
陸軍少年戦車兵 1939年12月 3780名
陸軍地上部隊の中で花形的存在。ノモンハン事件で日本軍が、
   ソ連の戦車を中心とする機工兵団により壊滅的打撃を受けた
   ことを背景として創設。

創設 採用数
陸軍少年工科兵 1940年12月 5955名
火工科、技工科、銃工科、鍛工科、木工科、機工科、       電工科、火薬、皮革具、銃、軍刀、火砲、木工測量、
   発動機、電機通信機器

創設 採用数
陸軍少年野砲兵 1942年12月  610名
主としてサイパン、ビルマ、フイリッピンの各戦線に配置
   された。

創設 採用数
陸軍少年重砲兵 1942年12月 615名
14歳~18歳。主として水中聴測要員として養成、要塞、
   船舶情報連隊に配置。

創設 採用数
陸軍少年高射兵 1942年12月約 1400名
測高、聴測、電測が重視される中で創設、十八歳未満、学歴不問

創設 採用数
陸軍特別幹部候補生 (特幹) 1944年4月 約8万名以上
   軍部の書類焼却で正確な数字は不明・米軍の反抗による戦局の
   急迫、大量の下級技術系幹部の充足、海軍の予科練大量募集に対 抗して創設、十五歳~十九歳中学三年.二学期終了程度の学力。
   一期航空、船舶。二~四期航空、船舶、鉄道、技術、通信、戦車、高射、
   重砲、山砲。船舶特幹一期フイリッピン戦線参加1190名    
         戦死953名 沖縄戦参加340 名、戦死123名        

           少年兵合計42万名以上      以上

どのくらいの少年が戦場に赴いたのか。

同時代の少年の中での比率はどうなのであろうか。

残念ながら、人口1億人(当時日本の植民地であった朝鮮、台湾を含む)
の戦争中の統計が手元にない。資料をお持ちの方がいれば幸いである。

文部科学省の学校基本調査平成21年度の数字がある。 


男子 1学年 610892人
    2学年 600835人
    3学年 627412人    男子合計1839139人

男子中学生の約23パーセントが少年兵を志願したことになる。

しかも、42万のうち、2万5千が、1941年12月の米、英、蘭への開戦以前で、それ以後が約40万。さらにそのうち30万が戦局の悪化した1944年以降の採用であった。

仮定の数字だが、44年45年の2年間弱で、中学2年、3年120万人から30万人、つまり4人に1人が戦場へという数字になる程の規模で少年が戦場に送られたと言うことになる。

実際は、約5歳の幅で少年兵の対象となるのだが、それにしても戦局の悪化の中で、「仕方なしに」ではなく、「自発的意志」で、家族の反対を押し切り、志願をして、消耗品として戦場に送り出された少年兵がこれだけの数になると言うことは、当時の軍国主義教育と軍国主義的社会環境の恐ろしさを示すものである。

しかも、このような少年兵についての問題が、語り継ぐことから欠落し、忘れ去られようとしていることは大変残念なことである。

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